Essay 05

予測より観測

時間は堆積する

想像できてしまう未来が、私は嫌いだ。理由の見えすぎる計画、結末の分かる物語。驚きが奪われたとき、世界はすでに生ではなくなる。

だから、未来を予測するという幻想を捨てた。代わりに、兆しを観測する。予測は世界を自分の模型に閉じ込めるが、観測は世界の側に主導権を残す。経営計画も同じだ。5年後の売上を精密に描くことより、想定外を受け止められる構造を持つことの方が、よほど難しく、よほど価値がある。偶有性を、排除するのではなく構造に取り込む。

時間は流れるのではなく、堆積する。

過去の記録は、未来を縛る鎖ではなく、現在地を測る地層である。私はすべてのログを残す。5年後の自分が読み返したとき、過去と現在の差分から、自分の思考の変化を割り出せるように。処世術は、過去に縋ることだ。ただし、過去はその時点での最善でしかない、という留保つきで。

定義されないまま、進む。単一の肩書きで自己を定義しないのも、屋号を null としたのも、同じ態度の別の表れである。次の5年も、明確な理念ではなく、この可塑性を深めていく。