Essay 02
勘定と感情
データが沈黙する場所から
文字には2種類ある。事実と感想だ。かつてそう書いた。経営の現場に流れる情報も、突き詰めればこのふたつに分かれる。勘定と感情。数えられるものと、数えられないもの。
私はデータの専門家として働いてきた。だから断言できるが、データは万能ではない。データが49対51で拮抗するとき、分析をいくら追加しても意思決定は前に進まない。そこで必要なのは、より多くのデータではなく、「どう判断すべきか」という判断軸の策定である。勘定が沈黙する場所から、経営の芸術が始まる。
一方で、感覚だけに頼ることは、祈りに似ている。祈るために手を組んだら、その手はもう何も掴めない。神頼みや奇跡への依存は知的怠慢であり、泥臭い確率論の上で足掻く方が、よっぽど誠実だ。直感は無根拠の閃きではない。無意識の底に幾度も重ねられてきた、認知の堆積である。だから直感は、検証に耐える。
明確であることよりも、正確であることよりも、世界の複雑さに忠実であること。
単純化されすぎたロジックは、美しいが、実務では使いものにならない。勘定で構造化し、感情で補正する。この往復運動を止めないことを、私は環状と呼んでいる。